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ムカデ男爵なんていうルフィの言いようへ、あわわと大慌てで倉の中から飛び出して来たのは、ルフィやゾロよりもうちょっと大きい年頃のお兄さんで。ここいらの子供にはちょっと見ないような…ストライプ柄のデザインシャツに、お出掛け用みたいなちゃんとした仕立てのスラックスと足元はローファーという、妙にきちんとした身なりをしておいで。その割に、両腕へみぃみぃと鳴き続ける仔猫を5匹も抱えており、バランスが取れていないこと甚だしくて。
「あら、サンジくんじゃない。」
「くいなさんっvv」
母屋の方からやって来た、くいなお姉さんの姿を見るなり、それまでゾロと睨めっこしていた目元が にへらとやに下がったのは、まだまだ幼いルフィにもありありと判って。
“…女好きな兄ちゃんだなぁ。”
シャンクスんとこにもああいう兄ンちゃんは結構いるぞと、妙なところだけ耳年増な坊やだと判るのは後日の別なお話。お初のお兄さんとの睨めっこは、くいなが出て来たことで水入りとなった。何でもこの人は、さっきおやつを食べつつ話してた ケーキ屋の息子だとかいう転校生で。店主である父上が、伝説の粉職人と誉れも高いこちらの当主へのご挨拶にと当家を訪れたのへついて来たらしく。だがだが、肝心のご主人は不在。そこで、父上が作業場を見せてもらっている間、暇を持て余してウロウロしていたらば、
「ギザ耳の仔だわ、それ。」
ここの倉が住処になってる古参の母猫。この春もまた此処で子供を産んでたらしいのの泣き声に釣られて中を覗いた彼は、だが、そんな後から入って来たルフィにギョッとした。そう、不意な声かけで“待て”って言ったのは、手元からよちよちって這い出てった1匹へとつい掛けてた声だったんだって。家の人に見つかったら追い払われるか保健所にやられるかも知れないって、子供に見つかったら悪戯されるかも知れないって心配して、それで。迷い込んで来たらしきルフィがいなくなるまでは大人しくしてな、出て行くなって庇ってたらしい。街の方ではそういうもんかも知れないが、
「ここいらじゃあ、そこまではしないって。」
此処までの道なりにも至るところにネコは居たろうがって、くいな姉ちゃんが呆れてた横で、きゃあ可愛いって小さな仔ネコに魅了されていたのが、お友達のナミさんで。
「ネコは平気でも虫は苦手なんだよね、サンジくん。」
そもそも、木の上から降って来た蜘蛛に驚いて、わぁって駆けてった先にあったのがこの倉という順番だったそうで。
「いや、まあ…。////////」
ちょっと不甲斐ないという自覚はあったか、言葉を濁したお兄さんに、ここまでの段階じゃあさして関心もなかった誰かさん。ところが、
「ゾロの一撃は怖くなかったのに、ムカデや蜘蛛は怖いんか?」
「ああ"?」
屈託のないお声で訊いた小っちゃな坊やへ、だってのに ついつい目許を眇めて見せた都会の兄ンちゃんへ、
「…。」
この子へ絡むつもりなら容赦しねぇぞということか、ちょいと眉間のしわが深くなったのだけれど。
「じゃあ、兄ちゃんがあのカップケイキ作った人か?」
「カップケイキ? ああ、マフィンな。お前も食ったんか?」
「うんっ、すげー美味かったぞっ。
オレ、あんなふわふわで あんな不思議甘いの初めて食ったぞっ!」
「不思議甘い?」
「おお、ベタベタしてねくて すぅってすぐにどっか行っちまって。
だから、すぐに次の一口が欲しくなんだ。」
まほー見たいな甘いのだったと、ワクワクしつつ一生懸命に語る坊やの言いようへ、
「…へぇ〜。」
好感触を得たらしく、表情がふわりとほどけるように和んだうら若きパティシェさんとは裏腹に、
「…。」
別の誰かさんは…微妙に機嫌が傾(かし)いでしまったようで。これが切っ掛けで、こちらの二人は微妙な“犬猿の仲”になってしまったこと、火種の当事者が最近まで知らないままでいたというのも、まま、彼らには らしいっちゃらしいエピソード。背丈が伸びるのにつられ、少しずつおませにもなり、微妙に世界が広がりかかるお年頃へと差しかかりかけてた坊やたちではあったけど。それでもまだまだお子様ですよと、大川の流れる音は昔と変わらぬ囁きで“くすす・くすすvv”と笑ってござった。
◇ ◇ ◇
小さな村は相変わらずに健在だ。寂れず流行らずという中途半端なところまで変わらないものだから、やっぱり橋を架けるほどじゃあなく。川の向こうの町とこっちとを結ぶのは、小さな艀(はしけ)の行き交いだけで。海に近いって土地じゃあないから、だとすれば単に水の匂いが濃くなってるだけなんだろに。この季節になると川風が妙に潮臭くなり、それが無性に子供心をつついて騒がせもしたのを思い出す。
「…。」
初夏の陽の明るさが、川表(かわも)を金粉でも撒いたかのようにチカチカ光らせていて。それがちょこっと目映かったのでと掛けていたサングラスが、何とか年齢に相応な成りへと見せていたものが。はしけを降りるとあっさり外したその途端に現れたのはまだまだ幼さも十分に残るお顔だったもんだから、
「あら、なんだ。久し振りじゃあないの。」
さっそくのように、船着き場の案内のおばさんに見つかって声を掛けられている。こういうことへはさすがに帰って来るんだねぇ。小さかった頃、そりゃあ仲が良かった友達だもん、それが結婚なんていやぁ そりゃあ駆けつけもするよねぇ。一方的なお喋りが止まらぬ気さくなおばさんは、そろそろ次の便が出るからとやっぱり一方的に話を終わらせ、じゃあねと手を振って解放して下さって。顔なじみのおばさんが話しかけてた見知らぬお兄さんを、不思議そうに見やってた子供らが。だけども当人と目が合うとそそくさと駆け出してった含羞みようが、何とも可愛くて苦笑が洩れる。さしたる手荷物もない来訪者。観光地でもないのに、では仕事で来た…にしては足取りはぶらぶらとしており。勝手は判るのか迷いもないまま坂の一つを選んで歩き出せば、坂の上からやって来た人影がこちらを見やって立ち止まる。精悍になった体つきや身の丈と同様、面差しまでもが大人のそれへと引き伸ばされてもいるけれど、
「…おう、今ので着いたのか?」
「ああ。」
訊いた声の響きはあんまり変わってはいなくって…ちょこっとホッとする。なんだ、迎えに来てくれたんか。さあな、家にいても暇なんでな。何だそりゃ、当事者なのにか? 男は案外とすることがねぇんだよ…と。まるでつい昨日も同じような口調で軽口を叩き合っていたかのようなやり取りを交わしつつ、船着き場までの道を降りて来かかってた彼がやって来たほうへ、揃って坂を上がって行く二人連れ。踏み固められた石畳の小道を挟む古びた石垣。元は大きな船宿だったっていう物持ちの家の長々とした板塀。わざわざ黒々とつけられた焼き目へ、クギの先なんかで削って落書きしちゃあ そのたんびに叱られたっけ。高台へ続く小道沿いにはキョウチクトウが揺れてる。ここんチの垣根、こんなに低かったかな? それ、こないだ来た時も言ってなかったか?
「お前の背丈が伸びただけで、そんな言うほど変わっちゃいねぇんだよ。」
「そっかなあ?」
あれれぇ?と小首をかしげて見せるのへ、幼なじみはいやに男臭くなったお顔で くすすと笑い、
「それを言ってやるために、俺は此処に居残ってるようなもんだ。」
おや。なかなか小粋なことを言うもんだと、ここまで育てば4つほどの年の差なんて関係ないか、そういや昔も引き回してた側だったルフィが ちょいと目許を眇めて見せてから、
「俺はてっきり、迷子になるんでこっから出ねぇのかって思ってた。」
「何だと?」
「だって、ゾロってばサ。
川向こうのガッコに通うようになると、
遠足だの修学旅行だののたんびに必ず迷子になってたじゃんよ。」
しかも、毎回毎回、ヒッチハイクとか…凄いときゃ別の団体旅行に混じってとかして、何とか自力で戻って来ててよ。
「方向音痴が凄すぎて、ツキの女神が同情するんだぜあれはって、サンジやウソップが言ってたじゃんか。」
あははと笑ったルフィとは正反対に、
「言ったな、くぉら。」
と、ゾロの側は恐持てなお顔を更に凄ませての、少々物騒な口調での言い合いに発展しかかったものの、
「あ、センセーだ。」
坂の途中で顔見知りが声を掛けて来たものだから、仁王の般若顔も中途半端に掻き消える。小学生だろう二人連れで、
「こんにちは。」
「こんにちは、ゾロ先生。」
挨拶がきちんとしているのは道場に通う子らだからか、その割に、
「ああ。」
先生の側が“これ”である。こんな片田舎には珍しい、ずんと長い歴史を誇る剣道の道場。その筋では有名な流派でもあるらしく、そんな取り決めがある訳でもないけれど、代々を血縁者が継いで来てのこの彼で三十代目とか何とかいう話で。父上が菩薩のような師範だったのとは真逆なセンセーであること甚だしいが、それでもそんなのいつものことか、坊やたちも意に介さぬまま、
「そっちの人は誰?」
「センセーの友達?」
傍らにいた連れを、興味津々で見やって来る。
「俺はルフィってんだ。此処の筋向こうの、赤髪亭の子だ。」
こっちから自己紹介をしてやれば、
「え〜っ、こんな兄ちゃん、いたか?」
さすがは地元の子だけあり、ご町内の家族構成にはこの小ささでも詳しいし、そこへと明け透けな物言いが重なるのも、ルフィのような性分には小気味がいい。だっはっはっは…と笑って見せて、
「お前らが大人の見分けがつくよになった頃からこっちは居なかったからな。知らねぇのも仕方がねぇさ。」
「何だよ、それ。」
まだまだ子供と言われたような気でもしたものか、むむうと膨れたチビさんたちで、
「じゃあ、エース兄ちゃんの子分なんか?」
「子分なんかじゃあるもんか。」
これでも世界中のあちこち駆け回ってんだ。お前らにはまだ判んねだろうけど、注文されたもんを耳を揃えて用意しちまう“調達”って仕事。どんな無理難題でもこなしてる、その筋じゃあ凄腕だ。それこそ子供には判らないだろうことへ鼻高々になるルフィであり、とはいえ、
「なんだ、やっぱりエース兄ちゃんの子分じゃん。」
「パシリだ、パシリ。」
くるり、こっちへは背中を向けるよにして、額を寄せ合い、そんなことを囁き合い始める子らだったもんだから、
「何だと、くぉら。」
今度はルフィの側が大人げなくなる番だったりし。それを何とか引き分けてから、子供らが船着き場のある広場まで駆け降りてくのを見送って、
「まあ、俺もまだ半信半疑ではあったしな。」
ぽつりとゾロが呟いたのは、ルフィが口にした“調達”という彼の仕事のお話で。いや、どこにも誇張なんてないのは重々承知だ。あのくらいの子供らには判らないかもしれないが、ファッション素材やゲームに音楽という分野にて、ここ数年の日本の若者の間で流行ったものの中には、このルフィが見つけて来た掘り出し物も多々あって。足首に巻く結束バンドみたいな“タグリング”とかいうアクセサリーも、ルフィが某南国の荷役の若いのの間で流行ってたのを持って帰って広めたもの。そして…そういうのは単なるおまけで、本職の“調達”の方はというと。たった1日で800キロクラスの本マグロを捕って来て欲しいとか、エッフェル塔を庭に据えたいとかいうそりゃあもうもう破天荒な依頼でさえ、よっしゃと飛び出してって何とか叶えてしまう、奇跡の仕事振りが評判なのだとか。そこで一番に恐ろしいのが、この青年には何の技術もないところ。交渉術や高度な駆け引きに必要な頭の袖斗(ひきだし)もさしてなく、はったりを効かせるのは まま上手かもしれないが、おバカだから嘘はすぐにもばれてしまうし。口での言い争いだったもの、拳と拳でのそれへと持ってくことだけ何でか上手…という、困るばっかな性分と資質しか持ち合わせてはいないはずだのに、気がつきゃ何とかなっているというから…不思議なことこの上もなく。恐らくは、あっけらかんとしているくせに、いざって時の度胸が世界一である彼の。(参;ゾロの知己中の該当相当人物比・おいおい) そんな気性が豪気な人物には小気味よく感じられ、それでと広がった人脈が、いろんな場面へ手を貸してくれての、結果、成功ばかりを収めているのであろうと思われて。
“こんな、まだ高校生ですって言ってて通りそうなのが、
そういう仕事をしてると言われてもなぁ。”
誰が信じるかよなと苦笑をしておれば、そのびっくり箱さんが歩み出しつつ声を掛けて来、
「さっきのチビらは“センセー”って言ってたが、コウシロウのおっちゃん、まだ元気なんだろ?」
「ああ。ただ、くいなが嫁に行く前に、一応の形式として俺が師範を継いだってだけの話だよ。」
明日はめでたき婚礼の日で、朝早くにまずは此処の水神様へと参ってから、大川の向こうの婿さんのところへまでを御所船で渡る。とはいっても、どっちかと言えば婿入りの感が強い結婚で、シモツキ製粉を継いだ くいなを射止めたのは、なんとあの、ムカデが苦手だったケーキ屋の兄ちゃんで。
「てっきりナミとくっつくと思ってたんだがな。」
「まあな。」
そうと誰もが思ってたのにね。実はかなり早い時期から、サンジ兄ちゃんの本命はくいな姉ちゃんだったらしく。ただ、ウチの評判の粉が目当てじゃあないのかって、長いことくいなさんが疑いを捨て切れなかったらしくって。
“疑われてもしょうがないほど、あの兄ちゃん、女たらしだったしなぁ。”
こらこら。(苦笑)
「俺は此処を離れるつもりはなかったからよ。何なら粉屋の方も俺が継いでいいって言ってたんだが。」
それでもくいなへの態度が変わらなかったことで、やっと信用を取り付けられたとかいう話だったから。…どんだけ信用されてなかったやらですのね。(う〜ん) そして、
「ゾロがこっから離れねっての。実は俺へも朗報だったんだぜ?」
「ああ?」
なんでだよ。う〜んと、ナイショだ。にししと楽しそうに笑って、先に行くぞと坂道を駆け上がる。小さかった背中は結構背丈が伸びて、少しは頼もしくもなったけれど。いつまでも子供みたいなところが変わらなくって。大層な仕事をやりおおせたって話を聞くたび、凄いと仰天するよりも、よく無事だったなと安堵する方が先なゾロだったりし。
“人の気も知らねぇで。”
どんだけ心配させてっか、きっと判ってないんだろなと苦笑が絶えないお兄さんをちらと肩越しに振り返り、
“人の気も知らねぇで。”
ルフィの側もまた、奇しくも同じことを胸の裡(うち)にて呟いている。いつもいつまでもこの故郷に居残っててくれてるゾロ。どんな苦境にあっても諦めないでいられるのは、突拍子もないうまい話にむやみに飛びつかず、迷子にならないで帰って来れるのは、きっとそのおかげだって、実はちゃんと判ってるルフィだったりし。
“でもなあ。”
とうとうくいな姉ちゃんが嫁に行ったら、あのさ。ゾロも嫁さん貰うのかな。まさかナミじゃあないだろな。それともくいな姉ちゃんにそっくりの、はとこの たしぎ姉ちゃんとかでもないだろな。それが気になったから、ついつい…交渉途中の物件をフランキーに押し付けて先に帰って来たってのによ。
「? どした?」
「何でもねぇ。」
昔と変わらない風景がでもちょっと違って見えたらそれは、こっちの背丈が伸びたから。だとしたら、好きの色合いが変わったのもまた、こちらの何かが変わったからなのかな? 大好きだったお互いを、ちょっぴり眩しく思うよになったことへこそ、何だか戸惑う彼らへと。故郷の川も川風も、何にも言わずに見守るばかり…。
〜Fine〜 06.5.01.〜6.13.
*何だか説明だらけっぽい終わり方になっちゃいましたね。
そもそもあんまり凝った中身は考えてなかったので、
時間を掛けた分、余計に肩透かしになったような…すみませんです。
今はこんな甘酸っぱいことを思ってる二人ですが、
何年かしたらば、ルフィがいつの間にか子持ちになって戻って来たりして。
全然覚えのない女性が“あなたの子よ”と押しつけてった子だけれど、
放り出せもせずで連れ帰ったとのことで。
その子を育てるルフィとゾロとで、
おお、何か書けそうじゃないですかなんて、
さっそくにも脱線してもいた筆者なのでありました。

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